【葬式に行きたくない】という非常識な考えはどうすればいいのだろう。




こんにちは、女忍者(@nappy_saya)です。

なにげなくLINEを見ていると、父親からメッセージ届いていた。

 

「おばあちゃんが亡くなった。通夜と告別式に参加できるか?」

 

もう何年も会ったことない祖母。

あえて、顔を見に行かなかったという表現が正しかった気がする。

 

自分でも思うけど、わたしはちょっと変わっていて、「どうしてこうなんだろう..」と思うことがある。

友人や会社の人、外に見せる顔はいい方だと感じている。

 

ただ、家族の間でどんな風に振舞っていいかわからない。

気を使わなくなって自分の本音を出しすぎてしまうのだけど、どうも我がまますぎるのだ。

 

そうなると、当然関係はうまくいかないわけで、兄弟にも嫌われてるしもちろん母親にも嫌われてると自覚している。

 

話を戻さないと・・

 

「おばあちゃんが亡くなった。通夜と告別式に参加できるか?」

このLINEを見て、わたしは参加するかどうか非常にまよった。

 

一般的に考えて・・

常識的に考えて・・

 

「葬式に参加しない」という選択肢はないだろう。

 

でも本音は、どうしても行きたくない。

理由は明確で悲しんでる人を見たくないし、悲しみたくない。

 

あまり関係が良くない母親でも、悲しんでる顔を見たくないんだ。

 

HSP(敏感すぎるという病気)

 

なぜ、こんなにも傷つきやすいんだろう..

昔から人よりも感受性が強いことに悩んでいて、「人よりも人生生きづらいな」と感じていた。

 

最近になって、この感情はHSPからくるものだと知った。

 

 

葬式という会場。

故人と過ごす最期の時間。

 

葬式を通じて、故人とお別れをする。

とても悲しかった。

遺体を火葬して、骨を集めてお墓に納骨する、そんな体験をしたときわたしの精神はとてもショックを受けた。

 

初めて参加した祖父のお葬式

 

ありがたいことに、今まで身近で人の死を経験したことがなかったのだが、3年ほどまえに祖父が亡くなり初めて身内の葬式に参加した。

亡くなった知らせを聞いて、わたしは当時イスラエルから日本に帰国した。

 

いっしょに暮していた祖父。

元気だったころの姿をとてもよく覚えていて、今でも迷惑をかけすぎたことを非常に後悔している。

若かりしころのわたしは今よりもっと傲慢で、祖父に対しての態度はひどいものだった。

 

後悔しすぎて、夢にでてくることもしばしばあった。

そんな祖父は数年前から認知症という病気になった。

 

「なんで、もっと早く気付かなかったんだろう。」

認知症は、今よりも症状がよくなることがない病気だった。

 

怒りっぽくなる。忘れっぽくなる。

症状にもっと早く気付いていれば、もっとできることもあったはずだ。

 

元気だったころの面影はだんだんとなくなっていった。

こんなことを言うと怒られるけど、その姿を見るのがとても辛かった。

 

久しぶりに遺骨の中で見た祖父は、元気だったころの姿とはかけ離れていた。

真っ白な顔に、肉がない骨だけの身体。

 

死というものに初めて対面した瞬間だった。

 

葬式を通じて、故人とお別れをする。

とてもとても悲しかった。

遺体を火葬して、骨を集めてお墓に納骨する。

 

いよいよ、祖父の遺体を火葬するというときの祖母の姿をわたしは忘れることができない。

 

人間なんて100%死ぬのだから、嘆いてもしょうがないことだと思う。

 

でも「あの瞬間をもういちど目にするのか..」と思うと、どうしても辛くて辛くてしょうがないんだ。

 

日本の葬式が苦手

 

失礼ついでに書くと、わたしは日本の葬式がとても苦手だと感じた。

まず、第一にしきたりが多すぎる。

 

高すぎる戒名料に、多すぎる年回法要。

商業的なものを強く感じた。

 

死んだときでさえ、なぜ多額のお金が必要になるのだろう?

 

もしも私が死んだとしたら、葬式はしてほしくない、絶対に。

 

 

葬式に行かないというのは非常識

 

身内の葬儀に、「行きたくないから行かない」というのを聞いたことがない。

葬式に行かないというのは、非常識だというのは重々承知している。

 

非常識なのはわかってるんだよ!!

でも、本音は葬式に行きたくない。

もう生きてる限り、誰の葬式にも行きたくない….

 

・・

というただの日記でした。

 

日本がジャマイカ式の葬式になることを切に願って、ただの日記を終わりにします。

 

 

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